


25thANNIVERSARY
SPECIAL INTERVIEW
インタビュー
興味や知識のない人でも、ゼロから電子工作に触れることができるのがエレキットの魅力です。
電波新聞社 特別相談役
大橋 太郎さま
Ohashi Taro
PROFILE
1948年東京生まれ。7歳から秋葉原に通い続けている生粋の“ラヂオ少年”。1967年「電波新聞社」に入社。ラジオの製作、マイコンBASICマガジンの編集長を務め、アマチュア無線や海外放送受信のBCL、電子工作など数々のブームを起こす。現在は電波新聞での記事執筆と、電子工作マガジンの編集長を務める。

―「イーケイジャパン」の前身である「嘉穂無線」と大橋さんとの出会いはいつごろだったのでしょうか?
国の統制化にあった電波が一般に解放されて、ラジオの民放化やアマチュア無線なんかが出てきたのが1950年。その流れからエレキットのようなホビーも出始めて、1976年に私が編集を担当させていただいていたラジオの製作という雑誌にエレキットの広告を出してもらったことが縁で付き合いが始まりました。ちょうど当時の代表の柳瀬真澄さんのご長男が生まれた年で、お祝いでキットを始めたというのもあるのかな?なんて私は思っているんだけど。
― 大橋さんは数々のブームの火付け役としても知られていますよね。
キットを作るのもそうだし、アマチュア無線を始めようとか、ラジオの海外放送を聞こうとか、ブームを作るために色々な仕掛けをしてきましたね。免許がなくてもできるCB無線をみんなでやってみようということで、「ソニー」に頼んでかっこいいトランシーバーを作ってもらって、各地の営業所の人たちとそれぞれの周囲のいちばん高い山に登って交信して、それを記事にしたりとか。富士山にも登りましたよ。


電子工作マガジンの筆者・久保先生によって海外放送が聞けるBCLラジオに改造されたエレキット。とてもきれいに聞こえる。
― そういったアイデアはどこから生まれるのでしょうか?
秋葉原で情報収集することが多いです。最近のトレンドだと、以前発売されたNECのノートPC中古を、なんと小学生が秋葉原のジャンク屋に買いに来るんですよ。必死に物色している子に何に使うか聞いてみたら、BASIC言語でゲームを作ると。これで作ったらいいゲームができるというのが口コミで広がっているんだそうですよ。
― そういう情報は実際に現場に赴いてみないと、なかなか得られないですよね。
そうですね。あとeスポーツが日本でもようやく注目されるようになって、組み立てパソコンを求めて秋葉原に来る小中学生が出てきたのも新たなトレンドですね。eスポーツの規定のゲームに適したゲーミングPCは高性能だから、普通のパソコンより高いんですよ。それを買ってもらえない子が行き着くのがDeskMini A300という組み立てパソコンなんです。私も実際に買って組み立ててみたら、仕事で使っているPCよりも全然速い!そんなわけで私が今編集長を務める電子工作マガジンで、毎号1台eスポーツ用のスーパーマシンを自分で作ろうという連載を始めることになりました。
― かつて子供たちが夢中になったマイコンBASICマガジン(通称・ベーマガ)も大橋さんの手によるものですね。
70年代の後半ごろから秋葉原を中心にテレビの空きチャンネルに電波を飛ばしてゲームができるチップや、パソコンの前身であるマイコンボードがブームになりました。もともとベーマガはラジオの製作の別冊付録としてゲームのプログラムを載せていたものなんだけど、人気が出たので独立させました。当時ゲームはカセットテープで1本3800円くらいしたかな?でもベーマガなら300円くらいで買えて、その中に何10本分ものプログラムが書いてありますからね。子供たちにエレクトロニクスホビーの魅力をどうにかしてわかりやすく伝えようと一生懸命編集していました。

数々のブームを巻き起こした雑誌たち。現在大橋さんが編集長を務める電子工作マガジンでも挑戦は続いている。
― 最近は電子工作に触れられるワークショップも増えてきていますね。
これからもっと増えていくと思いますよ。プログラミングも小中高校で必修化されるけど、大学生とかに教えているようではもう遅いんですよ。私もいくつかワークショップに関わらせてもらっていて、そこに来るのは上で小学5、6年生くらいだけど、彼らも10年経てばもう大人ですからね。私も自己体験の恩返しのような気持ちでやっています。できた時の達成感もそうだけど、失敗することがとくに大事で、自信満々でやっている子ほど失敗したりするんだけど、その子がリベンジでまた来ると、今度はちゃんと慎重に作るんです。そういう姿を見られるのはいいですね。
― エレキットについて大橋さんはどう思われますか?
修理のことまできちんと説明書に書いてあったり、ユーザーにすごく寄り添った製品づくりをしていますよね。私はワークショップではもっぱら修理係なんだけど、ぐちゃぐちゃになってしまったのを直すのは本当に大変なんですよ。もう私が作ったのを代わりにあげるよとその子に言いたくなるくらい(笑)。あと製品に対してクレームが来るとすぐに改良したり、あっと驚くものに変身させたものを同じ価格で出したりするのも素晴らしいと思います。プロセッサも使ってないのに複雑な動きするロボットや、専業メーカーが驚くような設計の真空管アンプなど、ものづくりの泥沼に入りこませようとする仕掛けも面白いですね。
― それでは最後に、大橋さんが今後「イーケイジャパン」に期待することを教えてください。
学校でプログラムを教えたところで子供全員がやるような趣味ではないんですよ。せいぜいクラスの1~2割くらいでしょう。だからこそ、興味や知識の全くない人でもゼロから電子工作ができる“キット化”はすごく大事なことですよね。最近は子供向けの取り組みをする企業が増えてきたし、そういうところと色々絡んでいったりしてもらえるともっと面白くなると思います。


25周年のお祝いメッセージ
おめでとうございます。その昔エレキットの技術者と、どうせなら面白いものにしようとキットのネーミングをああでもない、こうでもないと一緒に考えたことを懐かしく思います。これからも一緒にトレンドを作っていきましょう。末長く宜しくお願いします。
電波新聞社 特別相談役
大橋 太郎さま